ひまわりツーリングin安芸市 2016/07/27

季節の移ろいを感じる物は様々ありますよね。肌を刺すような冷たい冬の朝の空気、突き抜けるような青空に天高くそびえ立つ夏の入道雲、春の訪れを告げる南風や秋風に頭をゆらす黄金色の稲穂。

どれもその季節でしか味わうことのできないものです。中でも僕は季節の花が好きで、毎年春の桜、梅雨のアジサイ、夏のヒマワリ、秋の彼岸花、どれもその季節を代表する花で、それを見るたびに僕は四季の移ろいを実感します。また、間に挟む厳しい冬もそれらの味わいをより一層引き立ててくれます。

 

そんな季節の花々の一つを見に行ったのが2016年の初夏の終わり、7月末の事でした。

 

 

このツーリングの先週に高校時代の友人と愛媛県大洲市にあるひまわり畑を見に行ったのですが、何をどう間違えたのかヒマワリが一輪も咲いておらず、まあ完全なる無駄骨となってしまいました。

 

惨劇です。僕も友人も開いた口が塞がりませんでした。

 

まあそんなわけでお預けを食らった犬の様な気分になってしまった僕としては何としてでもひまわりを見なければ夏が始まらないじゃないか!という強い責務に駆られ、夏を正々堂々と迎えるためにリベンジに赴いたのです。

 

そこで行ったのが安芸市にあるひまわり畑。確か、ツイッターで満開の情報を見かけてよし、行こう!っていうノリで出かけた記憶があります。

この時期になるともう完全に梅雨も明け、本格的な夏の天気になります。

 青い海と青い空の組み合わせはどうしてこうも心が浮かれるんですかね?永遠の謎です。

 

下宿から大体二時間ほど海風を浴びていると目的地の安芸市に到着しました。安芸市の観光の目玉に野良時計という時計があります。ひまわり畑はこの時計の真正面に広がっており、僕以外にもちらほらと観光客がいました。

野良時計についての看板があったので読んでみると、むかーしむかし農作業をしている小作人のために機械オタクの地主が屋敷のやぐらに独学で作り上げた時計を設置したらしく、今でも地域の人たちの管理により安芸市のシンボルとして時を刻み続けていました。

夕日を背に浴びた満開の向日葵はどれも沈みゆく太陽と同じくらい金色に輝いていて、とてもまぶしく見えたのを覚えています。

 

夏の訪れを満喫し、ひまわり畑を後にした僕は安芸市の旧市街を散策することにしました。旧市街は国道沿いの現市街地とは違い、昔ながらの木造住宅や漆喰壁などが立ち並んでいる、昭和の雰囲気あふれた実にノスタルジックな街並みが広がっていました。こういう昔ながらの雰囲気を残した場所があちこちにあるのは四国の数あるいいところの一つだと思います。

 

ノスタルジーにも浸り、無事夏を迎える準備がととのった所でさあ帰ろうとした所、先ほどの野良時計横の公園にかき氷売りのワゴン車が止まっているではありませんか!

夏の風物詩のかき氷をひまわりを眺めながら食べるのも乙なものだと思い立ち、屋台のおじさんに作ってもらったかき氷は昔ながらの手回し式で、口に氷を含んだ瞬間わたあめのようにふんわりと溶けていき、夏の暑さで火照った体をやさしく、ひんやりと冷ましてくれました。

 

時折頭を横切るキーンというあの痛みにも痺れにも似たなにかを楽しみながら、かき氷を食べ進めていると、先ほどのかき氷のおじさんが僕のそばに来て話しかけてきました。初めはまあどこから来たの?とかありきたりな雑談を楽しんでいたのですが、話し始めて一分少々で、おじさんが急に「君は宇宙が誰によってつくられたか知っているかい?」などというまあまあ電波的な発言をかましてきました。

 

いやまあビッグバンとかじゃないですかね、とありきたりな返答でその場を濁し、何とかおじさんの電波発言を亡き者にしようとささやかな抵抗を試みたのですが、まあ場の流れは完全に支配されてしまったようで、抵抗むなしく「宇宙は、神様がつくったんだとおもわないかい?」的なことを矢継ぎ早に僕に語り掛けてきました。

 

もう完全に宗教です。やられました。

 

無駄な抵抗は無意味と悟り、おじさんの妙に和やかな洗脳語り掛けをBGMに遠い目で完全に味のしなくなったかき氷を口に放り込んでいると、ワゴンからなにやら分厚い教典的な本を持ち出してきて「この本に宇宙のヒントが書かれているだよ」とかほざき始めました。

 

いやもう宇宙のヒントとかどうでもいいから一刻も早くこの場を逃げ出すヒントが欲しかったですね。あれだけおいしかったかき氷さえも洗脳の道具に見えてこれっぽちもおいしくありませんでした。

 この時ほどゴローちゃんの気持ちが痛いほどよくわかりました。

どれだけ立派な御託を並び立てようが人の崇高なお食事タイムを邪魔した時点で、それはもうただの戯言です。神だろうが仏だろうが悪魔だろうが何人たりとも食事という神聖なる時間の邪魔をする権利などないのです。

僕はかき氷を一気に流し込み、だらだらとなんたら教の神について語る爺さんを尻目にごちそう様とかき氷にだけ礼を言ってその場を逃げるように立ち去りました。

夕日の見える展望台で一人、かき氷と宇宙の始まりについて思いを巡らせた後、ひまわりの事だけ考えながら帰路につきました。