西日本一周 その10
僕の使っているカメラが富士フイルムのカメラなんですが、つい一月ほど前新商品のプロモーションビデオで結構炎上したらしくて、今特に前置きで言いたいこともないんで思ったことを書こうかなと。
動画のリンクを貼るのもめんどくさいのでかいつまんでPVを説明すると、
『東京の路上で人ごみの中まあまあデカいデジカメを通行人の鼻先10㎝くらいに近づけてスナップ写真を激写して去っていく』これの繰り返しです。
新商品であるカメラのコンセプトであるポケットに入れてすぐに取り出せるといったコンパクトさをアピールしようとしたんでしょうね。投稿して1時間くらいで大炎上し、その日の午後には動画削除の憂き目に合っていました。
まあはっきり言って現代の日本でスナップ写真と言う一種の表現技法がもう時代にそぐわないものになってるんじゃないかなって思いました。
結論から言えば『スナップ写真』と言う表現の自由はもう日本にはないんですよ。
土門拳がライカ片手に道端のクソガキをバシャバシャ撮りまくってた時代ならいざ知らず、現代の一億総カメラ所持時代に今回のPVみたいな事をしたら不審者でしかありません。
ここまではまあいろんなブログやSNSで写真に携わる人が書いてきた内容なんですがこっからは僕の雑感です。
先ほど土門拳のスナップ写真を引き合いに出しましたが、じゃあ逆になんであの時代はそういう事が許されて芸術として多くの人に認められたかと言うと、一つの理由として肖像権と言う概念がそもそも無かったんじゃないかと。
じゃあ次になぜ肖像権と言う概念が無かったかと言うと、答えはシンプルで誰もそんな事気にしてなかったからです。
早い話がカメラという道具がそもそも一般に広まってなかったんですね。戦後まもない時代から高度経済成長期までの間、カメラと言う機械は一般庶民がおいそれと手にすることの出来る道具ではありませんでした。また当時のフィルムを現像する作業もかなり専門的な知識が必要でかなり表現の道具としては敷居が高かったモノでした。
ここで一つ僕の持論なんですが、技術的もしくは経済的な制約も一種の『表現の不自由』とやらに含まれるんじゃないかと思うのです。
別にこれはカメラに限った事だけではなく、それこそ大昔の青いインクが貴重だった時代の画家なんかもまあ不自由だったんでしょうね。
そして時代は進み、何の不自由もなく一般庶民がカメラを手にすることが出来たお陰で肖像権という概念の普及も進みました。
写真を撮ると言う『表現の自由』を誰もが手に入れることで
スナップ写真と言う『表現が不自由』になった訳です。
いい加減長くなってきたんで話を切り上げますが、もうこの流れに善悪をつける事そのものがナンセンスなんですよ。
どっかの天才発明家がカメラを普及させて表現の自由が一つ増えました
街角で通行人の顔を接写する事が出来なくなり表現の自由が一つ減りました
所詮この程度の些細な話なんですよ。そもそも芸術家なんて抑圧されてそのフラストレーションを自己表現にぶつけるもんなんだから、ある程度表現なんて束縛されてるくらいで丁度いいんですよ。
以上クソの役にも立たない雑記でした。
朝です、眠い
もうとにかく眠かったです。もうこのくらいで体にガタがきはじめましてね
クーラーガンガンに効かせた部屋で冷凍庫からキンキンに冷えたアイスを貪る事を渇望してました
とは言え先に進まないと先生からご飯を奢ってもらえません。
道の駅から10分くらいで天岩戸神社に着きました
天気が良ければ光芒が差して神秘的な光景だったんですがね
この日の朝は生憎の曇り空でした
賽の河原ばりに石が積まれてます
恐山と多分タメ張れるくらい積まれてます
社務所に戻ると雨が降り出しました
バイクにいそいそとブルーシートをかけて東屋で雨宿りを
そういえば今日は前期の成績発表だったなあと思い携帯で単位を確認すると必修を見事落としていました。
さすがに太宰府天満宮で3円しかお賽銭入れなかったのがまずかったかなあとしばし反省
やみました、まあ単位落としたことを悔やんでもしょうがありません
次です次
さっきまでのぐずついた天気が嘘の様に雲の切れ間から青空がのぞき始めました。
僕の心は相変わらず落単の憂き目にあっているというのに何となくムカつくなあとおもってました
まあいいや
高千穂峡です
もうこのボートも見飽きたんですよねぇ
今では『ああ彼らはボートに乗るために7000円近くの大金を払えるブルジョア階級なんだな』としか思わなくなってしまいました。
旅慣れの弊害とでも言いましょうか、繰り返し訪れた観光地での驚きというか感動が薄れてくるのです。
かなしいですね
うん、緑
あんまり言う事もないですねこの辺は。
こうやって書いている時どこだっけここって思ってます
高千穂神社でした
なんか昼間でもうっすらと緑色の看板が光っているのが印象的でしたね
神社飽きた
これ決して投げやりに文章を書いているわけじゃなくてマジでこの時の僕はそう思っていました。疲れてるんですよ長旅で
なんか廃線になった駅です。前日だったか立ち寄った湧水トンネルはここと接続される予定だったみたいですね。
今では蝉の鳴き声が響き渡るだけです
山あいの快走路を飛ばして海へ向かいましょう
もう山飽きたんで気分転換がしたいんです
宮崎市内です
何となく駅前の大通りが妙に高知に似ていて懐かしさを覚えました
この時は有料道路絶対に通らないマンだったのでこうやって街中の渋滞におとなしく巻き込まれていましたが、後日調べてみるとこの中心市街地を避けて通るバイパスがなんと200円で通れたとの事。
だったら金払えばよかったわと
そんなボヤキ
道の真ん中に延々と植わっている南国っぽい木
やっと海沿いに出ました
この先しばらくは海風を浴びながらのドライブになりそうです
この日最後の寄り道は宮崎市内から車で20分ほどにある青島です。
家帰って調べたら結構有名な観光地の様で、海水浴の時期なんかは特に賑わいを見せるそうです。
鬼の洗濯板と呼ばれるこの海沿いの地形、おそらく溶岩の流れ的なやつだろうと思っていましたがさっき調べたら普通に波の浸食作用によって生まれたものらしいです。
夕暮れと神社
晩夏のビーチは観光客もまばらで、聴こえてくるのは小さな波音のリズムだけ
遠く水平線の向こうに浮かぶのは漁船か何かでしょうね
そんな取り留めのない事を考えながら夕日に背を向けて海の向こうを見つめていると
なにやら不思議な空模様が浮かび上がってきました
訝しげに眉をしかめながらとうに沈んだはずの夕日を振り返ると
なるほど、空が割れると言う慣用句はこの時の光景を言い表すためにあったのだと思いました
少なくともこの日この瞬間この場所にいた人々はみな一様にこの二分割された夕日にくぎ付けになってましたね
一個前の記事で光芒の話をしましたが、これもその亜種だそうで
地平線の向こうに沈んだ太陽はその姿を眩ませてからも、しばしの間は観測者の上空を照らします。ちょうどその瞬間にうず高く積み上がった積乱雲が発生し、さらにその雲と太陽の切れ目が観測者と直線状に並んだ場合のみこんな光景になるそうです。
半分は焼けた紅い空、もう半分は藍染の深い宵闇
22年間生きてきて、この現象を見たのは3回だけでした。
太陽が沈んだ後、1秒ごとに配色を変える空の美しさをはっきりと認識したのはこの日が初めてでしたね
この日以降夕日を撮る時は、大体太陽が沈んでから本腰を入れてシャッターを切るようになりました。
思わぬ光景に出会った事でややマンネリ化していた気分もすっかり元通りになり、意気揚々と本日の宿である道の駅フェニックスへ。
明日はどんな景色が僕を迎えてくれるだろうかとまだ見ぬ冒険に思いを馳せながらカメラと携帯を充電しようと、ん?
あっ
やべっ、モバイルバッテリー高千穂において来ちゃった
そうです、なんと旅の生命線ともいうべきモバイルバッテリーの入った袋を朝イチで置き忘れてしまったのです。
幸いというか袋に入りきらなかったバッテリーが1個だけツーリングバッグの奥底に眠っていたのでカメラだけはなんとか充電できました。
ちゃんと1日の最後にオチが付く辺りはなかなか後で振り返ってみると面白いもんですが、実際当事者にとっては死活問題なわけで。
とは言え日も暮れてすっかり辺りは夜の闇
あれこれ悩むのは明日にしようと決めたら眠りに落ちるのは一瞬でした。