デジタル時代と紙のアルバム

たまにどうでもいいことを書きたくなる時ブログって便利ですよね。今回はそんなどうでもいいことをただ書き連ねた記事です。

 

僕は毎年年度末にその一年を振り返ってアルバムを作ります。紙の写真を一枚一枚印刷して布張りのアルバムに収めて一年間の思い出集のようなものを作ります。それを誰かしらお世話になった人に送り付けます。基本的に作ったアルバムを僕が持ち続けることはまずありません。

今回はそんな時代遅れのアルバムについてのお話。

 

 

僕が思うにもうすぐ終わりを告げるこの平成の時代において、最も技術的進歩が激しかったモノの一つがデジタル機器とネットワークの進歩だと思っています。

映画を記録するDVDがブルーレイに替わったように、楽曲データを収めた8㎜CDは再生機器の進歩に伴ってより高音質なハイレゾ音源の配信サービスに、

そしてカメラは色と光を焼き付けるフィルムから、0と1の羅列データを記録するデジタルカメラになりました。

 

物心ついた時にはまだかろうじてVHSが残っていましたが、それでもデジタル機器の普及は今思えばあっという間でした。

もっと言えば、さっき言った映画、音楽、写真、その他etc...これらは全て現代においてはスマートフォン一台あれば、再生、購入、撮影まで全部たった一台で済ませることができます。

僕がまだ小学生だったころはかろうじてそれらの役割はそれぞれの機器が個別に担っていましたが、ちょうど中学生の時分にiPhoneが日本で販売されたのをきっかけに、現代人はもう複数の機器を持ち歩くことなく、スマホ一台あれば大概どうとでもなるようになりました。

あらかじめ言っておくと僕は小学生の頃のデジタル、ネット環境に戻りたいかといわれたら即刻NOと答えます。だって不便じゃないですか、写真は解像度粗いし、音楽プレーヤーは500曲も入れればもう容量オーバーだし、VHSどころかDVDの画質ですら今では見るに堪えません。

 

ここまでが前書きです。

それでは本題、タイトルにもありますが、この現代において紙の写真に一体何の価値があるのかというお話。

デジタル機器がまだ無かったフィルム時代では紙にプリントしなければそもそも写真を見ることができなかった訳ですから、必然紙に写真を印刷することは当たり前でした。

ところが写真がデータによって記録される現代ではわざわざ紙に印刷せずとも撮ったその場で確認できます。人に渡すときに焼き増しせずとも、データを送信するだけで1バイトの劣化も無いオリジナルのデータを送ることも可能になりました。

 

じゃあ改めて今このご時世に、写真を紙に印刷するという事はどういった意味があるのでしょう。

LINEを使えばわずか数分で枚数無制限の劣化することのないアルバムが誰とでも共有できるこの時代に、わざわざ両の手をインクで汚しながら何時間もかけて印刷し、それでも数十枚しか入らないアルバムに何の価値があるのでしょう。

正直なところまあ自分でもなんでこんな時代に逆行するような作業をしてるんだろうと思う事もあります。

 

僕にとってそんな不便極まりないアルバムの価値は文字通り命の恩人に渡すためだけにあります。もっと言えば自分が旅してきた一年間の記憶をアルバムという一つの作品に変えるための作業ですかね。

 

つくづく思うのがやっぱり紙のアルバムって不便なんですよ、インクや紙をそろえるのがまず面倒くさいし、印刷した写真は微妙に色がズレてるから一々印刷し直して調整するのが面倒くさいし、そもそもアルバムに収録する写真を選ぶのも面倒くさいし、そうまでして作ったアルバムはかさばる上に半年もすればどっかしら色褪せてきます。

でもね、それがいいんですよ。印刷を終えて、自分の旅の思い出がアルバムの一枚一枚に収められて、それを指でめくる時に僕はようやく一年の旅を終えることが出来たような気がします。いつか色褪せていく、決まった枚数しか収められないアルバムだからこそ僕の思い出をより鮮明に表現してくれます。めんどくさい作業を通して自分の思い出にケリをつけられるんですね。

 

で、次にそれを人に渡す。この渡す時がまたいいんですよ。

芸術家として何かしらの作品を世に出すとき、中途半端なモノなら出さない方がマシというのは僕の先生が教えてくれた事の一つですが、僕が人に旅の写真を魅せる時にもやっぱり中途半端なモノは見せたくないんですよ。そういう意味でアルバムに纏められた写真は僕の中で「ひとつの完成した作品」であると言えます。

僕にとって人に写真を見てもらうという行為は紙に印刷された写真を見てもらうことであって、それ以外のLINEやインスタグラムなんかはただの日常報告くらいのもんです。

別に電子データが紙に劣っているとかそういうオカルトじみたもんじゃないですよ。

単純にアルバムを受け取ってくれた人にアルバムから写真を一枚一枚、抜き出して手に取って眺めてもらうのが好きなだけです。

 

やっぱりデータとしてディスプレイに映し出された映像じゃなーんか味気ないんですよね。自分の旅の思い出が一枚の写真に、一冊のアルバムとして形になる方が僕は好みなんですね。時代遅れの懐古主義者と言えばそれまでですが。

 

まあそんな訳で今年も命の恩人に渡すアルバムが出来ました。

 作ってるときはやっぱりクソめんどくさいんですが、多分僕が写真を撮る限りアルバムは作り続けるんじゃないかと思います。作り終えた時の感慨深さはそれはもう言葉に言い表せないくらいですからね。

 

 

こうしてみると2018年もまあ悪くない一年でした。