よく友達からそんな野宿ばかりしてて体大丈夫なの?あと頭もと聞かれますが、自分はむしろ野宿をしないと体と心がどうにもスッキリしないんですよね。
むしろ家のベッドよりも旅先の見知らぬ場所で迎える朝が一日のステキな旅を予感させてくれる分よっぽど清々しく目覚めることができます。
高千穂で迎えた九州二日目の朝です。ここ高千穂は観光地としても有名ですが、交通の要所としても阿蘇と宮崎県延岡市を結ぶ街道のちょうど中間地点に位置しており、朝目覚めると自分の様な旅人の車や長距離トラックなどが道の駅の駐車場にわんさか泊まっていました。九州は他方に比べて道の駅で夜を越す人々が多い気がします。
朝日が山影から顔を出し始めた7時にもなると一台、また一台とエンジンに火をつけてそれぞれの一日を始動させていました。自分もその中に混ざって高千穂の朝を迎えに行きます。
まず最初に向かったのは高千穂の市街地から少し北にある天岩戸神社です。前日の記事でも少し触れましたが、ここ高千穂は日本書紀や古事記に記されている日本神話の舞台の一つである天孫降臨の地として古くから観光客でにぎわってきました。
天孫降臨伝説について軽く解説をすると神様の住む国である高天原という場所にいた天照大神というとってもえらい神様が「なんか地上みだれてね?」とか言い出して、どうにかしようと思ったんでしょうね、自分の孫を「ちょっと荒れてるから何とかしてきてね」と今に伝わる三種の神器と一緒に送り出したんですが、そいつがたまたま降りてきた場所が日向の国の高千穂峰、つまり現在の宮崎県高千穂町というわけです。天照大神の孫が降りてきたから天孫降臨というわけですね。
そんな高千穂の数ある聖地のひとつがこれから向かう天岩戸神社というわけです。
市街地を抜けて晴れ渡った空から降り注ぐの朝日の下、青く実る稲穂に囲まれた快走路を北へと進みます。30分ほど走ると最初の目的地、天岩戸に到着しました。
天岩戸にある天安河原という場所を一度見てみたかったのでそこから見てみることに。
天岩戸神社という神社の敷地にあるこの河原はただの河原ではありません。ここも例に洩れず神話の聖地として多くの観光客が訪れています。幸いここに来た時は平日の朝8時、自分以外誰もいませんでした。整備された遊歩道に沿って渓谷を進んでいくと
幻想ですね。紛れもなくこれは幻想です。やっぱり神にまつわる場所は何かこう不思議な力が働くのでしょうね。神々しいまでの木漏れ日を受けて煌めく水面がやけに眩しかったのを覚えています。
天安河原にまつわる神話は後程説明するとして、どうですこの荘厳な空間。
阿蘇の景色が自然が生み出す圧倒的な雄大さならば宮崎は神が創り出したとしか思えないような神秘的な景色と言えるでしょう。河原に積み上げられた無数の石塔はここを訪れた人々が願いを込めて一つ一つ積み上げたもので、この地を訪れた者たちの信仰の力強さを感じました。
1時間ほど景色を独り占めしているとぼちぼち観光客も増えてきたので隣接している天岩戸神社へと足を運びます。
ここ天岩戸神社は先ほどの川を挟んで西本宮と東本宮の二つに分かれています。まずはメイン?の西本宮へ。
よく早起きは三文の徳といいますが自分にとっては早起きするだけで絶景や観光地を独り占めできるなら三文どころか金に換えられないほどの価値があります。
この西本宮では社務所で申し込みをすることで神主さんの解説とともにこの天岩戸神社の神域である天岩戸を拝見することができます。それ以外はカギがかけられており、参拝客は立ち入ることができません。拝見している間も神域の撮影等は禁じられており、どのような場所なのかは自分の目で確かめるしかありません。
天岩戸を見ている間神主さんが先ほどの天安河原と天岩戸にまつわる神話を聴かせてくれました。
要約すると、天照大神というえらーいえらい神様が仲のいい友達と家で着物を織っていたところ、素戔嗚尊とかいう神様(自分たちの住む御殿をぶっ壊したり、田んぼの用水路をせき止めて遊んだりしていた超絶クレイジーな神様)が何を思ったのか天照大神が織物をしていた家に上って急に屋根を引っぺがしたかと思えばそこから馬の死体を投げ入れたらしく、それにびっくりした天照大神の友達が機織り機に刺さって死んだらしいんですね。
それにめちゃくちゃ絶望した天照大神が天岩戸に引きこもっちゃったらしいんですが、この天照大神が太陽を司る神様なもので、それが引きこもったおかげで高天原と地上が真っ暗になっちゃって、作物とか育たないし暗いしでめちゃくちゃ困ったらしいんです。これどうにかせないかんわということでほかの神様が集まって作戦会議をしたらしいんですね、さっきの天安河原で。
で、その集まった神様の中にすごい力持ちの神様とすごい踊りがうまいアイドルみたいな神様がいて、その神様達が天照大神を外に連れ出そうということになりました。
とりあえず作戦決まったのでみんなで天岩戸の前まで移動したら、アイドルの神様が天岩戸の前で踊り始めて、ほかの神様が宴会を始めたんですね。そしたら天照大神が「私がこんなに落ち込んでるのに何であいつらはあんなに楽しそうなの?」って思ってちょっと岩の隙間から覗いた瞬間、岩陰でスタンバってた力持ちの神様が無理やり天照大神を引きずり出して、地上に光が戻ってめでたしめでたし。
という感じの話をしてくれました。ちなみに素戔嗚尊はクレイジーすぎたので丸刈りにされて地上に追放になりました。ハッピーエンドですね。めでたしめでたし。
ちなみにこの前日に夜のバイパスで出くわした不気味な二体の像はこの話に出てくるアイドル神と力持ちの神らしいです。
ただ目に見える景色だけを楽しむのもいいですが、その風景に関わる背景や出来事を知るとまた一段と違って見えるものですね。
参道を出るとお土産屋が軒を連ねていました。こういうのどかな雰囲気の観光地はせかされることなく自分のペースで散策できるので楽です。
西本宮も大体見て回ったので橋を渡って東本宮へと向かいます。
東本宮は社務所もなく人気もほとんどありませんでした。
京都の貴船神社に雰囲気が似てますね。湧水が美味しかったのを覚えています。
さて、天岩戸も大体見て回ったので、高千穂へと引きかえします。
九州はどこに行ってもとにかく入道雲が印象的でした。夏の風物詩をこうもダイナミックに感じられる場所はあまり多くはないでしょう。どこまでも長閑な田園風景が続いていました。
もし移住するならこういう場所に住みたいですね。一年中バイク乗って走り回れる自信があります。
高千穂市街地に帰ってきました。観光地ということもあってか10時を過ぎる頃には街中は活気にあふれていました。
高千穂峡に到着です。ここは日本でも有数の景勝地で、日本の滝100選にも選定された真名井の滝もあり、宮崎を代表する観光地としてシーズンには数多くの旅行客で溢れかえします。
この奇妙な地形には阿蘇の火山活動が深く関わっています。
大昔のカルデラが形成されるほどの大噴火により流れ出た大量の溶岩はここ高千穂にも流れ込みました。そして数え切れない月日を経て川の流れに侵食されていき、今の景観が生み出されたと言われています。岩壁の変な模様はその時の溶岩が固まった跡らしいです。
整備された遊歩道を進んでいくと真名井の滝にたどり着きました。こういう水源地帯は夏場でもひんやりとした冷気が流れていて、とても居心地がいいんですね。
夏場になると写真のようにボートに乗って滝の間近まで近づくことができます。
ここでもトウモロコシをぶら下げていました。
もちろん今ではこのような種子の作り方は行われていませんが、昔ながらの文化がこうやって今でも残っているというのは素晴らしいことだと思います。
以上で高千穂観光は終了です。神話の聖地、なかなか見ごたえのある場所ばかりでした。
ちなみに一つ留意事項があるとすればこの高千穂峡、めちゃくちゃ道が狭いです。
駐車場?そんなもんありません。かろうじて遊歩道入り口の広場にバイクが停められるくらいです。車で訪れる人は手前の高千穂神社に車を停めてから長い長い坂道を徒歩で降りていくことになります。
バイクで旅をしているとよく車と比べて不便じゃない?と聞かれますが少なくとも景色を見るという一点に絞れば、急な雨や過酷な気温を除いて大体の場面に置いて二輪の方が圧倒的に便利です。とにかく車と比べて機動性が段違いなんですよね。観光地お決まりの渋滞もすり抜ければ何の障害にもなりませんし。写真に収めたい景色があれば路肩に止まってそのままカメラを構えるだけで自分の見ている景色がそのまま写せます。
まあ何より一番の理由はバイクが写っている風景の写真が好きという個人的な理由なんですけどね。
高千穂を後にして一路阿蘇へと引きかえします。
天気予報でも次の日から曇る予定だったので阿蘇でもう一泊してから高知へ戻ることにしました。
昼飯です。ちょっと豪華になったと思いませんか?
全然そう思わない人は普段何気なく食べている毎日の食事がとても恵まれているものであることを自覚した方がいいでしょう。
考えてみてください、初日アンパン一個、二日目カップラーメン一個、からの三日目はお手製チキン南蛮定食ですよ?だんだん人間の食生活に近づいていると思いませんか?
なんでこうなったかというと、前日道の駅で寝る前に高知のバイク乗りの友人に電話して生存報告をしたところお前何食って生きてんの?という事を聞かれて、人間がかろうじて生存できる最低限の食事で生き延びているけど景色がきれいだから全然苦しくないよと伝えたところ、
「お前は景色だけ見てその土地を旅したつもりになっているかもしれないが、旅先で食べる食事だってその場所の文化や風土が色濃く反映されてるのに、それを見向きもせず味わいもしないでその場所の事を知った気になるのは大間違いだ。」
といわれて確かにその通りだと思いました。自分は景色を見ることにこだわりすぎてそれ以外の素晴らしい出会いを見逃していた事にようやく気づいたのです。
そして次の日、宮崎県の名物であるチキン南蛮を食べて景色を見る事以外の旅の喜びを知る事ができました。バイク乗りの友人には本当に感謝してもしきれません。
人はこのように旅を通して自分に足りない物を見つけ出して成長していくのです。
美しいですね。
腹ごしらえも済んだところで阿蘇に到着です。南阿蘇から北部の市街地へと戻るのですが、ちょうど通行規制が解除される時間だったので左周りルートを通ることにしました。
国道が完全に寸断されているので迂回路を通るのですが、そこもあちこち地震で崩落しており数少ない生き残ったルートを急ごしらえで舗装し、工事と並行しつつなんとか交通網を復旧させていました。
当たり前の暮らし、いつも通りの日常が一瞬にして失われるのはにわかには想像し難いものですね。ニュースで地震や災害の報道を見ても自分は大丈夫だろうとどこかで思ってしまうものです。
道の駅阿蘇に戻ると自分と同じカブでツーリングをしていた九州の大学生と出会いました。妙に意気投合したので一緒に温泉へ行くことに。
最初に行った温泉は地震の影響で地下水が枯渇してしまい営業中止に。
100円温泉入ってみたかったんですがね。残念でした。
代わりに九州の大学生がおすすめの温泉を教えてくれたのでそこに行くことに。
ありがたいことに温泉を奢ってもらいました。もう本当に命の恩人です。感謝してもしきれません。
また再びどこかで会うことを約束して別れたあと、道の駅阿蘇に隣接している阿蘇駅へ向かいました。
ここも震災前は阿蘇観光網の動脈としてたくさんの列車が停車していましたが、熊本方面の橋が崩落したため、ここに停車する列車は一日に僅か5本、宮崎方面への電車のみとなっていました。人の気配が無くなった駅はなんだか物寂しく思えました。
九州最後の夜は一人無人の駅舎で在りし日の賑わいを想像しながら、そしていつかまたたくさんの乗客を乗せた列車がこの線路の向かうからやってくる日を思い描きながら、ゆっくりと夜が更けていきました。