西日本一周 その2

こうしてブログを書きながら昔の旅の記憶に思いを馳せる時が僕は結構好きなのです。

 

 

大体記事にする旅は執筆時からおおよそ半年から一年前の旅が多く、旅先で書いたり、帰ってきてからすぐ書いたものは一つもありません。

僕がこのブログを始めた理由は確か免停の憂さ晴らしだったような気がしますが、今となっては自分自身の過去を振り返るために書いています。

 

僕の持論として、人生における経験だとか出会いだとか死生観だとか、そういった抽象的なモノに関してそれを手に入れたり失ったりする時がだれしもあると思いますが、実際その最中は案外自分では気づいてなくて、後からその時を振り返って初めて自分がどう変化したのか、という事に気が付けるものだと思っています。

結局のところ、今の僕にとってこのブログは自分の過去を振り返ることで、旅を通して手に入れたもの、失ったものを見つめなおすために書いているわけで。

実際過去の旅で撮った写真を見つめながらその時の自分の心境を想像するのは結構楽しくもあり、また心の底から初めて訪れる異邦の地での旅を心から楽しんでいた過去の自分がひどく羨ましくもあります。

 

今の僕が例えば再び阿蘇や北海道に訪れたとして、果たして感動こそすれど、初めて訪れた時の胸が打ち震えるような激しい情動に突き動かされることはもうありません。

人間とは何に対しても「慣れ」てしまう生き物で、なんにせよ経験を得る代わりに、次第に情熱的な感情を忘れていきます。

けれどその情動を取り戻すことはできなくとも、過去の自分がいかに情熱的であったかを思い出すことはできます。僕の場合は初めて訪れた場所で写した写真をきっかけに、未熟だった頃の自分が未熟なりに、人生を謳歌している様を思い出し、懐かしむことができます。

とどのつまり僕がこうして文章をとめどなく書き連ねているのは、過去の自分との対話でもあります。技術も装備も経験も、何もかもが未熟だった頃の自分にしかできなかった旅、写せなかった写真、出会えなかった人々。そういったモノの大事さに気づくための確認作業がこのブログなのです。

 

 

長話が過ぎましたね。でもなかなかこういう場所じゃないと普段考えている人生観なんて人に伝える機会がないんですよ。

先の記事で散々自分語りをコケにしてきましたが、冷静に考えればこのブログこそ一番の自分語りでした。

 

自分語り二日目。

目を覚まして名探偵に別れを告げると、一路西へ海沿いを走ります。

この日は笑えるくらい天気が良くて、朝から上機嫌でバイクを走らせていました。そんな能天気状態で最初に向かったのは鳥取の名もなき海岸。

見たまんまの景色です。海沿いに咲くひまわり畑ですね。ひまわり自体があんまり砂地に育たない植物なので実は結構珍しいんですよこの景色。見学料は無料で、地元のボランティアが管理しているらしく、浜辺の入り口に小さな手作りの募金箱が置いてありました。100円玉を投げ込んで、しばらくひまわりの花と一緒に海風に揺られた後は再び岡山へと戻るため南へと走ります。

一応西日本一周の定義として、各県の観光スポットを最低1つ以上は見ておきたかったので、まだ変な緑色のふわふわしたキャラクターくらいしかまともに見ていないうちは先に進めないのです。

岡山と鳥取の県境にある日本百名山の一つ、大山。その南麓に広がる裾野は蒜山高原と呼ばれ、西日本有数の別荘地かつ避暑地でもあります。

暑いんですよね、夏って。

だから高いところに行って涼もうという安直な思考の結果がこれです。

なかなか悪くありませんでしたよ。リゾート地にしては渋滞も皆無でほどよく涼しい風が吹き抜ける、まさに避暑地にふさわしい場所でした。展望台から一望する中国山地と広々とした酪農地帯との対比も見事なもので、ベンチに寝そべって眺めているとしばしウトウト。

目を覚ましたらすでに12時を回っていました。のどが渇いたので水を飲みに行きましょう。

RPGセーブポイントのようなこの場所は塩釜冷泉と呼ばれ、その名の通り真夏でもキンキンに冷えた地下水が大量に噴出している湧水地です。

旅先ではこういう湧き水スポットは絶対に外せないですね。景観を見るのも目的の一つですが、それ以前に冷たいもので体を冷やさないとぶっ倒れるんで、ほんとに僕にとってはセーブポイントでライフを回復するのと同じようなものなんです。

 

ライフを全快した後はなんだかおなかがすいてきました。

この蒜山高原は別荘地でもありますが、岡山県有数の酪農地帯でもあります。

ぷらぷらと高原を走り回っていると目に飛び込んでくるのはジンギスカンの食べ放題の看板。その刹那脳裏によぎるのは昨晩の先輩から送られてきたジンギスカンの写真。

いやいや、そんな食べ放題なんて行ってたら鹿児島までたどり着く金が消えうせてしまうじゃないか。旅というものは質素で慎ましくあるべきじゃあないかね。

見なかったことにして精神を落ち着かせるため展望台に戻って中国山地を眺めて無心状態になっていると、高知の友人から電話がかかってきました。

 

友人「お前今回の旅は食べ放題行くのか?」

彼はいつかの阿蘇の旅で食べ放題で食いすぎて僕がカブでゲロを吐きながら疾走した時の話を開口一番持ち出してきました。

僕「そりゃあ行くにきまってるだろう」

友人「マーライオン楽しみにしてるぜ!」

そんなもんです。誘惑には逆らえませんでした。

ジンギスカン屋にとんぼ返りするやいなや、僕は時間無制限食べ放題2100円コースを注文してしまいました。

やっぱりね、いいもんですよ肉ってのは。たとえ明らかに輸入品のガチガチに凍り付いたラム肉しかなかろうとそんなことは取るに足らない些細な事であり、僕の空腹を満たすうえではなんの問題もないことなのです。

かれこれ人間火力発電所を4時間ほど動かし続けていました。

楽しい時間にはいずれ終わりがやってくるものなんですね。あれほど僕の本能を刺激していたジンギスカンは終盤になってくるとただの苦行でしかありません。

ラスト30分、机の上のタンパク質共を胃の中に放り込んでやっと苦行から解放されました。その後はもちろんマーライオンです。

自分でもバカなことをしているのは重々わかっているんですよ。でもまだ僕は食べ放題という場において食欲という自分の欲望を抑えられるほど若くはないのです。

毎年夏の旅において食べ放題とマーライオンはいわば僕のルーティーンなのです。満腹中枢を一度オーバーフローさせることで旅全体を通してむやみやたらと食に対する欲求が噴き出すのを抑えているのです。実は結構合理的なんですよ僕は。

 フラフラの体で店を出るとちょうどいい具合に夕立も止み上がりました。

雨上がりの高原はうっすらと霞がかっていて、昼間のうだるような暑さをゆっくりと消し去ってくれます。

霧に覆われた幻想的な山並みを抜けて、今日の旅を締めにかかりましょう。

 

ここ蒜山高原からほど近くにあるのが露天風呂で有名な湯原温泉です。

山あいの小さな温泉街なんですが、僕は結構好きなんですよ。

 

そうこれこれ、温泉に僕が求めているのは泉質でも露天風呂でもなく、温泉街なんです。夏の夕暮れに合わせて路地の明かりが一つ、また一つ灯されていくのを眺めていると、どこからともなくカランコロンと下駄の音が聞こえて来るんです。息つく暇もないような僕の旅において温泉街でのひと時ばかりは、どうしようもなく心が安らぐんですね。

 

ちょうどこのダムの下に温泉が湧き出ていて、さっきの川はこのお湯とダムからの放水が混ざり合って、湯気が出ていたのです。

 

湯面に浮かぶのは彼方の山脈に隠れた夕日を受けてほのかに赤く浮かぶ積乱雲。

周りには誰もいません。うっすら森の方から聞こえるのはひぐらしの鳴き声。

意気揚々と飛び込んでみるとまあぬっっるいお湯とも呼べないような温度。でもね、それがいいんです。

空の彼方が次第に宵闇に包まれていく午後7時、ぬるい温泉につかりながら一人で爆笑していました。ああなんて愉快な旅なんだろう。

 

いやさすがにぬるすぎて寒くなってきたし、そもそもこういった公衆露天風呂では体を石鹸で洗うことができないので普通にその後ちゃんとした温泉に入り直しましたけどね。

風呂上がりに飲むコーヒー牛乳はなんであんなにおいしいんでしょうかね。本当に涙が出るほどおいしいんです。

 

古き良き温泉街を満喫した後は今日の宿へと。

ベンチに寝っ転がって明日の旅程を計画していると、いつの間にか雨が降ってきました。今日は蒸し暑い熱帯夜にならずに済みそうだなあ。そんなことを考えている間にも雨はしとしと降り続けていました。耳からイヤホンを外すと聞こえてくるのは賑やかな雨粒の音楽。激しくもなく、されどしっとり流れ続ける音楽に浸りながら僕は思いました。

まあ明日の旅は明日になって考えればいいか、と。

朝にはこの音楽が鳴りやむことを願いながら、子守歌のお陰か僕はいつもより深い眠りに落ちていきました。