世界遺産の旅in熊野古道 プロローグ

 

今でこそ二台のバイクとともにあっちこっちを駆け回っている僕ですが、高校のころまでは電車と自転車で旅をしていました。

もともとインドア派であまりスポーツの類が好みではなかったんですが、不思議と自転車旅だけは妙に長続きしたんですね。体力も持久力もなかったのに景色を見たいという一心でひたすらペダルをこぎ続けていました。

電車旅を始めたのもちょうどサイクリングにハマりだしたころで、自転車ではいけないような長距離はもっぱら18きっぷを駆使してあちらこちらうろついていました。

 

 

そんな感じで自転車や電車でふらっと県外に出かけては親を呆れさせていたのも今では昔の話、モーターサイクルという快適かつ自由な乗り物を手に入れてからはそんな健康的な生活からも遠ざかっていました。

もう自転車や電車で旅をすることもないだろうなあ、そう思っていた大学二年の12月

当時僕が所属していたゼミの先生の紹介で電車を使った旅企画のコンペに出させてもらえることになった僕は、企画の具体的な案が定まらず先生に相談に行ったところ、

 

「とりあえず電車でどこかに行けばいいと思うよ」と言われました。

 

自分で言うのもなんですが、僕はこの先生の言うことをほぼすべて九分九厘信用してしまう、ある意味狂信者のような状態になってしまっていて、たとえ何を言われたとしても

『この人がそう言うのならきっと正しいんだろう!』と自分の中で納得してしまえるほど尊敬している先生なのです。

 

二年の夏に西日本を一周した時もきっかけはこの先生に

「夏休みに鹿児島で学会の発表会があるからそのついでにフィールドワークを向こうでしようと思うんだけど、君はバイクで高知から鹿児島まで来れるよね?」

「はい、行きます!」

ほんとこんな感じで先生に言われて、僕が即答したことがきっかけみたいなものでした。

 

そのついでにどうせ本土最南端に行くならその道中すべての県に立ち寄って観光してやろうと思い立った結果が15泊16日西日本一周の旅でした。

多分あの先生が鹿児島に来いと言ってくれなければ僕は西日本一周など考えもしなかったでしょう。いずれこの旅も記事にしたいものです。

 

話は戻って、そんな僕の生活に多大なる影響を与えた先生がとりあえず電車に乗れというんだからきっとそれが正しいに違いありません。

時刻表とにらめっこを繰り返してルートを決め、年末の繁忙期でどこもかしこもキャンセル待ち状態の民宿から何とか予約をもぎ取った僕は、2017年の師走を旅で締めくくるため、いまだ足を踏み入れたことのない未踏の地、和歌山県熊野大社へと向かいました。

一度行ってみたかったんですよね、世界遺産

 

 

ルートを大まかに説明すると

こんな感じです。

 

まず高松から夜行列車の最終便で徳島へと向かいました。

高校生の頃はこのホームから出発する始発列車に乗って数々の旅に出かけました。

ホームから電車が出発するときの妙なワクワク感は相変わらず旅の気分を盛り上げてくれます。

 

 

大体2時間ほど鈍行列車に乗って揺れる車窓からの景色を眺めていると徳島駅に到着しました。僕の記憶が確かなら徳島市の市街地に来るのは確かこの時が初めてだったと思います。あんまり用事ないんですよね、この辺。

徳島の田舎は僕にとってとても魅力的なんですが、市街地はこれっぽちも興味がわきません。

実際この時も駅を出るとそのまま年末で賑わう繁華街を素通りしてフェリー乗り場までの5㎞程の距離をテクテク歩いていきました。

 

 

一時間ほど冬の冷たい夜風に吹かれながら歩いていくとフェリー乗り場に到着です。

ええめちゃくちゃ疲れました。昔はフェリー乗り場まで直通の電車があったらしいのですが、本州四国連絡橋の完成とともにフェリー需要もガタ落ちした結果、その路線も消え去ったらしいです。時代の流れってやつですね。

 

午前二時のフェリーの中は閑散としており、このだだっ広いスペースで思う存分ゴロゴロできました。約二時間ほどで徳島から和歌山を結ぶこのフェリーでつかの間の休息をとります。

 

 

爆睡していた僕はフェリーの係員さんに起こされて寝ぼけまなこで下船し、

 

 

そのまま始発列車に乗り込んで和歌山市駅

 

 

和歌山駅へと移動します。

ここで2時間ほど時間をつぶしながら新宮行きの特急を待ちます。和歌山港は直通の私鉄が市内までつながっていたのでだらだら歩くこともありませんでした。

 

 

 

特急くろしおに揺られて海を眺めているとだんだんと視界が晴れ渡り、青い海と空が目の前に飛び込んできました。電車旅のいいところは移動中も景色を思う存分楽しめるところですね。バイク乗ってるときに景色に見とれているとガードレールやら壁にやら突っ込んでしまいます。

 

 

三時間ほどで列車は紀伊半島を半周し、目的地の新宮に到着です。

琴平駅のホームにすごく良く似ていました。

 

 

改札を抜けるとなんてことはない、地方都市の駅前風景が広がっていました。

駅に隣接している観光協会から自転車を借りていざサイクリングです。

 

 

最初に訪れたのは熊野三山の一角である熊野速玉大社です。

ここでそもそも世界遺産の熊野とはなんぞやという人のために解説をば。

世界遺産としてユネスコに登録されている熊野はその正式な認定名称を紀伊山地の霊場と参詣道と呼びます。

 

 

ここ熊野速玉大社と熊野本宮大社、そして熊野那智大社を総称して熊野三山と呼びます。そしてその熊野三山と、日本仏教の聖地である高野山、仏教修験者の修行の場である吉野・大峯の霊場とそれらを結んだ参詣道が古来から続く日本の信仰と文化を今に残しているものとして世界遺産として認定されました。

要するにめちゃくちゃ範囲広いんですね、この世界遺産

紀伊半島の南半分が大体世界遺産です。しかも広いうえに寺社仏閣が一括りになって登録されています。

神道と仏教では信仰の対象も成り立ちも全く違うじゃないか』

そう思った人もいると思いますが、実はこの二つがごっちゃになっていることが重要なのです。

 

元来日本という国は古くから災害が多く、またその険しい地形から人々は暮らしの中で自分たちの手に負えない自然や、その自然が生み出した特徴的な造形物を人知を超えた存在、神様として祀り上げていました。

いわゆるアニミズム、自然信仰が太古の昔から信じられてきました。

代表的なもので言えば富士山に代表される山岳信仰などがポピュラーでしょうか。

山そのものを神様として、神聖な場所として祀り上げ自分たちの暮らしの拠り所としたのです。

熊野三山も発祥は自然信仰が起源といわれており、本宮大社熊野川を、速玉大社はごとびき岩【新宮にあるでかい岩】を、那智大社那智の滝をそれぞれ自分たちの暮らしを守ってくれる神様の依り代としてみなし、日々の暮らしがより豊穣であるように、自分たちが子々孫々に至るまで末永く繁栄してゆくように祈っていました。

 

そんな折、6、7世紀ごろに大陸から仏教というものが日本にもたらされました。

それまでの日本にあった神道とは全く違う宗教である仏教は言ってしまえば仏という唯一神を信仰するもので、各地域ごとにバラバラのご当地神様を祀り上げていた神道と比べると遥かに人々を纏め上げることができ、ひいては当時の権力階層がより強大な中央集権を維持するためにうってつけのやり方でした。

そんな感じで広まった仏教ですが、長年信じてきた神様を見捨てて新しい信仰対象にポイポイ鞍替えできるほど人々の信仰は薄っぺらいものではありませんでした。

むしろ海外から伝わってきた「仏」は自分たちの信仰する神が形を変えたものだという考えが広まりだしたのです。いわゆる本地垂迹説というやつですね。我々現在の日本人が12月31日の大晦日に除夜の鐘を打ち鳴らした数時間後、初日の出とともに神社にお参りするという一見矛盾している奇妙な信仰形態が生まれたのもこれがきっかけです。

 

さて、話は少し戻って仏教が伝わりだしてしばらくしたころ、日本人の中にも本気で仏教を学び、浄土の世界を目指そうという偉い坊さんがちらほら現れてきました。

彼らは政治に利用するために都合よく改変された当時の仏教ではなく、大陸で発祥した本当の仏教を学ぶために厳しい修行を積んだり、海の向こうの大陸に密入国したりしました。こうして生まれたのが密教というやつでした。

その密教を日本でひろめたのが空海というお坊さんです。彼はなんやかんやして中国にわたって密教を学ぶと日本に帰って密教の総本山を紀伊半島の超絶山奥に隠すようにして建立しました。それが上の図にある高野山です。

こうして日本に確立された密教ですが、これが神道と仏教を結びつけるうえで結構重大な役目をもたらすことになります。

仏教では今自分が生きている現世で良い行いを積むことで、死んだ後に極楽に行けるという考えが一般的ですが、これが密教では修行をしまくって自分の精神レベルを高めようという考えになりました。

 

そしてその修行の方法というのが分け入った深い山奥の中で何日もこもったり、高い滝に打たれ続けたりすることでした。なんでこんなことをしていたのかというと古くからの山岳信仰が根付いていた日本では山や川などといった自然の力を崇拝しており、そこで修行を積むことで人知を超えた力を自分の中に取り込もうとしていたからだと考えられます。さて、日本でも有数の山岳地帯である紀伊半島はそんな密教の修行場所に事欠きません。高野山をはじめに、吉野や那智の滝など険しくも神秘的な霊場があちらこちらに点在していました。その中には熊野三山を巡ることも修行の一つとして含まれていました。

そうして密教の修行を積む修験者や、本地垂迹説の普及により寺社仏閣関係なく参拝すればとりあえずいいことがあるだろうとお参りに来る民衆がスタンプラリーのように一つ参拝したらまた次の霊場へと足を運ぶことで、次第にそれら霊場を結ぶ道が形成されていきました。これが現在に伝わる熊野古道の成り立ちです。

こうして紀伊半島のほぼ全域が一大霊場となり人々の信仰を集め、神仏習合という文化を今に残しているものとして世界遺産に認定されました。

 

以上世界遺産の解説終了。多分どこかしら間違って理解している箇所があるので鵜呑みにしないでくださいね。

 

 

 

 

熊野三山では様々な神様が祀られていますが、その中には八咫烏という使神も含まれています。ここ速玉大社のお守りは八咫烏がはめ込まれた激シブなものでつい4個まとめ買いしてしまいました。黄泉の国の道先案内人というキャラ設定に中二心をノックアウトされたんですね。

 

 

煌びやかな本殿にお参りを済ませてさっそく本日の宿へと向かいます。片道15㎞ほどの上りを熊野川に沿ってのんびりと漕いでいきます。

 

 

紀伊半島を訪れるのは初めてですが、実際こうやって見て回るとなかなかに険しい土地だなあと思わせられます。

 

 

切り立った崖を縫うように流れる急流に沿って形成された道は今でこそ道路改良が進んでいるものの、依然として崖崩れや路盤崩壊などで道路工事があちこちで行われていました。

 

 

途中道の駅によって休憩することにしました。

ところがどうにも殺風景なんですね、この道の駅。トイレと駐車場とテントの良心市ほどしかなく、最初はお金がなさ過ぎて箱物を作れなかったのかなと思いましたが

 

 

どうも水害で丸ごと流された跡らしく、慰霊碑とともに当時の水害の激しさを物語る水位記録看板が駐車場の隅にありました。

熊野が信仰の聖地として古くから続いてきた理由のうちに恐らくこういった過酷な自然環境に対する人々の畏怖も含まれているのだと再確認しました。

 

 

こうやって見るとだいぶ走りやすい道路に見えるでしょうが、裏を返せばこの規模の道路を造らないとこの場所は災害時に土砂崩れや冠水等で簡単に陸の孤島と化してしまいます。最近あちこちで竣工された無料の高速や自動車専用バイパスはもちろん交通の便をよくするという目的もありますが、それと同じくらいこういった山岳地帯での災害時におけるより安全で確実な道路インフラの確保という目的があります。また海沿いやよく氾濫する川沿いでは津波や豪雨時の冠水などの際に一時避難場所としての役目も持ち合わせています。

僕のようなあちこち放浪する人間にとっては快適に移動できるという点がありがたいですが、そこで暮らす人々にとっては非常時の命綱ともいえる重要な設備です。

 

 

本日の宿である民宿黎明に到着です。やっぱり自転車だとだいぶ時間がかかるもので、着いた頃にはもうすっかり山陰に日が沈んでしまっていました。

というか自転車がめちゃくちゃしんどかったです。体力の衰えを如実に感じましたね。

 

 

高校のころまでは日帰りの旅行しかしてこなかったのでこうやって旅先で日が沈むのをぼけっと眺めることもありませんでしたが、一日の始まりと終わりを見知らぬ土地で迎えるというのはなかなか楽しいものです。

未知なるものと出会えるワクワク感とほんのちょっぴりふるさとを思い浮かべてしまう懐郷病とが入り混じった奇妙な感情がいつしか病みつきになっていました。

 

 

こうやって旅先の個人店でご飯を食べるのもなんだか久しぶりな気がします。

基本自炊か外食をするにしても安さと安定性を求めてチェーン店にしか行かないので本当に自分は食事に無頓着なんだなあと思ったり。

素朴な味のラーメンとチャーハンでおなかを満たした後は明日の熊野本宮参拝の視察もかねて夜の熊野をぶらつきにいきました。

 

 

ここ熊野は温泉の名所でもあり、いくつか有名な温泉がありますがここはその一つの川湯温泉と呼ばれる場所です。

冬季限定で川の河川敷に穴を掘ってそこから湧き出る温泉に無料で入れるというもので、無料の響きに誘われた僕は道路沿いの脱衣所に荷物を置いてさっそく入浴しました。

 

入って10秒で後悔しましたね。ええマジで入らなきゃよかったと思いました。

この時の外気温は12月の末ということもあり余裕の一桁台でまあまあ寒かった上に、この川湯温泉の露天風呂めちゃくちゃぬるいんです。多分35度くらいですかね。

全然体が温まらない上にお湯から上がろうとすると、吹き抜ける寒風と刺すような極寒の気温のダブルパンチであっけなく湯船に押し戻されてしまいました。

30分くらいモジモジしていましたがらちが明かないので強行突破で脱衣所まで戻りましたが、全然温泉に入った気がせずむしろ滝行とかそういった修行の類にしか思えませんでした。

 

 

いい感じに体と心が冷え切ったので明日に備えてさっさとふて寝することにしました。

こうやってお金を払って屋根と壁があるところで布団にくるまって寝るという経験を僕は大学に入ってから片手で数えるほどしかしたことがありません。僕はお金を払って安全と快適を得るよりも野宿で心細さと不便さを楽しむほうが性に合っているのだとつくづく思いました。

民宿自体はすごく親切で丁寧な接客だった上に部屋ものびのびとくつろげたのでその辺の満足度はよかったです。

 

 

朝起きて半分寝ぼけながら窓を開けて、乾いた冷たい冬の空気を肺にめいっぱい吸い込むと一気に目が覚めました。

民宿のご夫婦にお世話になったお礼と別れを告げて熊野本宮へとペダルを踏みだします。

 

 

やっぱり朝一だと人がいませんね。世界遺産を人ごみに邪魔されずゆっくり観光できるのは特別に気分がいいものです。

 

 

石段を登っていくと社務所があり、さらにそこから進むと横一列に並んだ5つの社殿がありました。

速玉大社とは違いこちらの本殿は落ち着いた雰囲気で渋い風格がありました。金閣銀閣みたいな感じですかね。

五つある本殿はそれぞれ違う神様を祀っており、熊野信仰の中心としての歴史と風格が漂う空間でした。

なんで写真がないのかというと撮影禁止だからです。

一応社務所のほうで聞いてみると個人で撮った写真を個人で見る分には構わないそうですが、その写真で金を稼いだりばらまいたりするのがだめらしいです。

まあこのご時世ネットで調べればいくらでも撮影禁止スポットの写真が出てくるのでわざわざ行かなくても見れるのですが、ここと大斎原に関して言えば写真には到底写らないような独特の雰囲気がありました。こればっかりは実際に行ったことがないとわからないものですね。

 

 

熊野本宮を後にして次に向かったのは熊野本宮の跡地である大斎原(おおゆのはら)です。ここ熊野の地は度々水害に見舞われてきましたが、それは信仰の対象であった熊野本宮も例外ではなく明治の中頃に起きた大水害によって当時ここにあった熊野本宮はその大半が流されてしまいました。そして流出を免れた4つの社殿を高台に遷宮し、現在の熊野本宮大社としました。

 

 

バカでかい鳥居をくぐり夫婦杉を抜けていくとだだっ広い草っぱらに出ます。

ここも例のごとく撮影禁止でしたが、写真を撮る気が失せるくらいには不思議で神秘的な空間でした。

 

 

熊野の町並みはとてもきれいに整備されており、無電柱化はもちろんのこと街頭や道路沿いの建物に至るまですべてが美しい景観に沿うような作りになっていました。

こういうわざとらしい街づくり結構嫌いじゃないんですよね。

 

 

熊野詣もひと段落したので帰り道を自転車でぷらぷらと。

下り坂なので上りの時の苦労が嘘みたいにすいすい進んでいきます。

 

 

何とか特急に滑り込んでようやく一息つくことができました。

列車は来た道を戻り、そのまま大阪を抜けて神戸へと向かいます。

 

 

神戸に到着した後は駅前の繁華街を抜けて、ポートランドの船着き場で船を待ちます。

やっと到着した船に乗り込むと今までの疲れがどっと出てきて客室に入るなり爆睡してしまいました。

 

 

以上で2017年の旅を世界遺産で締めくくったわけなんですが、どうにも消化不良感が否めませんでした。

僕は熊野古道と聞いて

こういうやつをイメージしていたんですが、この旅ではこんな道どこにもありませんでした。大体登山道みたいなところしかなかったんですね。

それもそのはず、帰ってから調べるとこの画像のような石畳が敷き詰められているのは今回訪れた速玉大社でも熊野本宮大社でもなく、残る熊野三山の最後の一つである那智大社の参道で、それ以外の大部分の熊野古道は言ってしまえばただの登山道だったのです。

 

完全にしてやられました。

 まあ僕の調査ミスといえばそれまでなんですが、そもそも3つの神社を電車で回るのも距離的に不可能なので電車という移動手段をとった時点で積んでいたのです。

やっぱりバイクしかない、僕は自由が欲しいんです。行きたいところに自由に行けてみたい景色をいつでも見れるという圧倒的な自由が。

高校のころまでの僕ならまあこういうこともあるかとそれなりに満足していたかもしれません。でも今の僕はバイクという圧倒的に自由かつワガママな相棒を手に入れてしまったのです。

そうして月日は立ち3か月後の三月末、バイクに乗って今度こそ熊野三山、そして熊野古道を目に焼き付けるために再び紀伊半島へと旅立つことになりました。

 

 

だからこの記事はタイトルがプロローグなのです。

というわけで次回世界遺産の旅、本編スタートです。