旅の相棒の話 スーパーカブ編

 

ここで言う相棒とは僕の旅に欠かせないバイクの事です。

 

ブログでも散々バイクがどうのこうの言ってますが、僕はバイクが好きというよりは自分の旅のツールの一つとして必要不可欠なものだと思っていて、これがもし自転車や車だったらきっと僕の旅もまた違ったモノになったかもしれません。

 でも僕は、これまでバイクという不便でめんどくさい乗り物に乗って旅をしてきて車で来た方がよかったと思ったことは一度もないのでやっぱりまあバイクが好きなのかもしれませんね。

 

 

僕がバイクで旅をするにあたってどんなバイクが好みなのかを、自分が今乗っているバイクを基に雑記としてまとめてみようというのが今回の記事の大まかな内容です。

 

 

先に結論から述べておくと、旅に向いているバイクなんて人それぞれです。

旅をする人が一番好きなバイクで旅に出ればいいのです。車種によって向き不向きはもちろんありますが、人馬一体となって日本中を駆け巡る上でそういった細かい所はあんまり気にならない物です。

風を浴び続けてくたくたになるネイキッドも、乗車体勢がかなーり前傾姿勢なスーパースポーツも、持ち主にとってはかけがえのない相棒です。単気筒の素朴な味わいもハイメカ感溢れる4気筒もすぐ熱ダレする空冷エンジンも重いクーラントを抱えた水冷エンジンも原付も大型バイクもなんでもそうです。

その相棒と日本中を駆け巡るのに多少の不便はなんの障害にもなりません。自分の好きな相棒で行きたいとこへ行けばいいのです。

 

じゃあそれを踏まえた上で僕の個人的な主観にまみれた旅の相棒はどんなバイクがいいのかというと

  • 日本全国海山川津々浦々どこにでも行けると思わせてくれるバイク
  • 写真に写したときに絵になるバイク

この二つが僕の中での基準になっています。

今の僕の旅の相棒はホンダが作ったスーパーカブとVTR250の二つですが、今回はスーパーカブについて二年間走り回った感想を記したいと思います。

 

 

バイクというものにもいろいろ種類がありまして、外装の有無やライトの形、アメリカンだとかレプリカとかありまして、人それぞれ好きなバイクの形があると思います。

僕の好きなバイクの形はたった一つ、普遍的なバイクです。

誰が見ても「あーどこかで見たことあるねー」ってなるような、よく言えば昔からある形の変わらないバイク、悪く言えば典型的で古くさいバイクです。

カブという名前に聞き覚えが無くても郵便配達や新聞配達の方が乗っているバイクといえば日本に住んでいるおおよそ9割の人がああ~あれね~となるはずです。

 

 

このバイクが初めて世に出たのは今から60年も前で、その時からこのバイクは一切その形を変えることなく半世紀の間、日本中で走り続けてきました。

 日本のモータリゼーションにおける生き字引といってもいいこのバイクですが、性能だけで言えば今の日本においてもっと高性能なバイクが同じ排気量でいくらでもあります。基本的な設計が60年前からほぼ変わっていないので当たり前っちゃ当たり前ですけどね。

それでも僕は大学に入って一番最初に乗ったバイクがこのスーパーカブで本当に良かったと思っています。理屈ではうまく説明できない良さがこのバイクにはあるんです。

 

冒頭で述べた僕の求める旅の相棒の条件である、行先を選ばないという点と旅先の風景に自然に馴染んでくれるという点では、このバイクを超えるものは無いと言ってもいいでしょう。半世紀を超える歴史の中でこのバイクは数え切れないほどの人々の足として、日本中で使われてきました。それはもう僕たちの遺伝子レベルでどこに行っても必ず一台は走っていると認知されるほどに。

 

 

バイクに限らずたいていの工業製品はその時代に合わせて、人々のニーズに答えるようにそのデザインと機能を変えていくものです。それ自体は全く素晴らしいことであり、人類が着実に進化していることを目に見える形で示してくれる訳で、少なくとも我々の生活の向上に役立っています。

でもその移りゆく時代の中に置いて形の変わらないモノがあるとしたらどうでしょうか?

ある人はそれを伝統というかもしれません、古くさいと言う人もいるでしょう。

捉え方は様々あるでしょうが、新しい製品が次々と生み出されては消えゆく歴史の中でこのスーパーカブというバイクは60年間もの間、その形と機能をほとんど変えることなく僕たちの生活の中に在り続けました。そこにはこのバイクをきっかけに世界トップシェアのバイクメーカーに成長したホンダの意地もあるのかもしれません。ですが僕はそれだけではないと思っています。少なくともメーカーと消費者の双方に愛されなければ一つの工業製品が半世紀も市場に出回り続けることはまずありえないからです。

 

 

このバイクが生み出された1958年からおよそ60年間、日本は世界でも類を見ないほどのめざましい発展を遂げました。

 

戦争の傷跡から立ち直り始めた日本はまだまだ個人の移動手段に乏しく、一家に一台マイカーの時代もずいぶん先の話です。そんな時に人々の身近な足として未舗装路や荒れた道にも対応できるよう大型ホイールと三速ミッションを積み、当時出回っていた他の原付の3倍の馬力を持たせて世に送り出されたスーパーカブは瞬く間に日本中で乗り回されるようになりました。

 

 

もはや戦後ではない、どこかのお偉いさんがそう口火を切った途端、オリンピックや度重なる好景気をジャンプ台に高度経済成長期に突入した日本ではあちこちで開発が始まり、大阪や東京などの都市部では発達したモータリゼーションに道路網が追い付かずにあちこちで渋滞が起こっていました。そんなとき、クラッチを省き運転の手間を最小限に抑えた上にどんなものでも積み込める大型の荷台を装備したこのバイクは郵便や新聞、はたまた出前のソバをのせて赤いブレーキランプがひしめき合う大都会を縦横無尽に駆け回っていました。

中東の混乱によって引き起こされた石油危機の影響で日本中のガソリンが急騰しかけた時でもリッター60kmを誇るスーパーカブには何の問題もありませんでした。

 

バブルの景気もすっかりはじけ飛び、二度目のミレニアムを迎えた日本にもグローバル化の波が押し寄せてきました。国産よりも安くて簡単に手に入る品物が市場に溢れかえった時でも、5年10年は当たり前、メーターが一周してもまだまだ走り続けるタフなエンジンを搭載したスーパーカブはMade in Japanの意地と誇りを載せて相も変わらず日本中で人々を様々な所へと運んでくれました。

 

 

2010年に入り、日本中がすっかりデジタルやインターネットに染まりきって生活や社会システムが大きく変わった現在、このバイクはどうなっているかというと、何にも変わっていません。携帯はネット機能を持ったスマートフォンに、街ゆく車はバッテリーを積み込み低燃費を合言葉にハイブリッド化が進んでいきます。環境が目まぐるしく変わりゆく現代においてもこのバイクはあの頃のまんまです。相も変わらず丸目のライトに純白のレッグシールドをトレードマークに、持ち主にとって何一つ変わる事のない相棒として日本中を走り続けています。

 

 

 

 

とどのつまり変わらない事こそがこのバイクの魅力なんだろうと思います。

二輪というジャンルに限らず個人の移動手段という点に置いてとことん普遍性を突き詰めたこのバイクはどんなに時代が変わっても、人々の生活が変化しても、決してその形と機能を変えることなく僕たちの生活に在り続けました。

 

利便性を求めて変化し続ける社会においてそれを受け入れ続けるという事は、裏を返せば絶対に変わることがないという安心感を捨てて、いつ変わるかもしれない生活環境の中で絶えず不安感にその身をさらし続けることにほかなりません。

 

 

そんな暮らしにふとした瞬間嫌気が差すことが誰しもあるはずです。

そんな時にこのバイクを見ると、決して変わることのない安心感と人々の暮らしにおいて今も昔も変わる事のない普遍性を感じさせてくれるのです。

 

 

見知らぬ土地を訪れて、自分自身がどこかよそ者に思えて心細くなるようなときでも、このカブがいれば何となく安心できるんです、何があるか全く想像もつかない旅でもまあ相棒がいれば何とかなるだろうと思えるのです。

 

 

 

たとえどれだけ高性能なバイクを持っていたとしても、たくさんの資金を持っていても、それらは旅に出るという後押しこそすれど実際に行動に移す時はそれは自分自身で決心するしかありません。

僕の旅は基本的にいつも十分なお金もなければ満足な装備もなく、ましてや一人ぼっちの孤独な旅です。

 

 

そんな僕の傍らにいつでも寄り添ってくれたのがこのバイクでした。このバイクがあったからこそ僕は一人でも未知の世界を恐れることなく旅に出ることができた気がします。

星が降り注いでくる様な夜空の下でも、体ごと溶けていきそうな真夏の暑い日も、心まで凍えてしまいそうな寒い日も、雨の日も風の日も、どんな時でも変わることのない安心感として僕の傍に在り続けてくれました。

 

スーパーカブは僕が初めて手に入れた自由への翼であり、かけがえのない相棒です。

ちっぽけな車体に載っているのはたった50㏄の非力なエンジンです。それでもこのバイクにはそれ以上に大事な何かがあるんです。ある人はそれをロマンと言うかもしれません、現代人が忘れてしまったノスタルジーと言う人もいるでしょう。ただ確かにいえる事は60年という歳月の間に目まぐるしく変化し続けた日本の歴史において、このバイクは常に日本のどこかで誰かを乗せて走り続けていました。そしてきっとこれからも。

 

 

 

 

 

 

 

長々と書いて来ましたが、僕自身別にカブをまるで赤子のように傷一つ付けず、丁寧丁寧にいたわっているかというとそんな事は全くありません。気持ちの上では大事にはしていますが、それはそれとして旅の相棒としては大体酷使し続けています、50㏄のエンジンに無理を言わせて九州まで飛び出したり、荒れ放題の道に好奇心だけで突っ込んでいってはバイクごと吹っ飛んだこともあります。そんな無茶苦茶な使い方をしてもこの相棒は大して壊れる事なく僕を次の場所へと運んでくれました。

だから僕も相棒を信じて新しい次の旅へと旅立つ事ができるのだろうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

生まれて初めてバイクを買った時、僕はたまたま目に留まったバイク屋に入って、数あるバイクの中で真っ先にこのスーパーカブを下さいと言っていました。

その時カブを選んだ理由に大して深い意味はありません。

小さいころに父親がカブに乗っていたのを、父が乗っていたのと同じ形、同じ色のカブを見つけてたまたま思い出しただけです。

次の瞬間にはこれを下さいという言葉が無意識のうちに口からこぼれていました。

 

初めて自分のバイクでツーリングに行った日を僕は今でもよく覚えています。キーを回して勢いよくキックレバーを踏み抜くと静かに回り出すエンジンの音、アクセルを回すとエンジンが唸りを上げて颯爽と風を切っていく快感。

 

その瞬間、大昔に一度だけ父さんのカブの後ろに乗せてもらった事を思い出しました。当時まだ小さいガキンチョだった僕は50㏄で二人乗りが違反だという事を知らずに、何のきっかけか父さんにバイクに乗せてほしいとねだり、半ば無理やり乗せてもらったような気がします。

 

遠い、本当に遠い昔の記憶で僕自身すっかり忘れていた想い出だったのですが、その時の記憶が一気に蘇ってきました。

父さんがしぶしぶヘルメットを僕にかぶせて「一度だけだぞ」と言いながらはしゃぐ自分を荷台に座らせた時のことを。

初めて見るバイクからの景色に興奮しっぱなしの僕を、ミラー越しに見ていた父さんが確かに笑っていたことを。

 

あれから月日は経ち、自分でスーパーカブのハンドルを握ってみてようやくあの時父さんがどうして笑っていたのか、なんとなくその理由がわかったような気がしました。

ただただ楽しかったんです、バイクに乗って走ることが。

 

 

 

ミラーに映る僕の顔もいつしか笑っていました、あの頃の父さんみたいに。