大長編ツーリングin九州 最終日

 

九州最終日、無計画の極みとも呼べる放浪の旅もあっという間に最後の日を迎えました。

 

 

 

 

 

 

 

相棒の節目を記録に残して名残惜しくも阿蘇を発ちますが、その前にちょっと寄り道を。

前日道の駅でここに来たなら絶対に立ち寄ったほうがいいとバイク乗りのおじさんに助言をもらったので、最後に阿蘇を離れる前に大観峰という所へ寄っていきます。

 

 

中心街を抜けて一路カルデラの外側へと向かいます。この日は朝から靄がかかっていて、一面真っ白でした。最終日くらい晴れてくれたらうれしかったんですがね。

 

山道を登っていると見たことのない花が道沿いに咲いています。後で調べてみるとどうもハナウドと呼ばれる植物らしいです。

 

気温が上がるとある程度は霞も薄くなりましたが、それでも晴天とまでは言えず・・

まあ前二日がいい天気過ぎたので多少はしょうがないっちゃしょうがないですけどね。この数日間だけでも阿蘇はめまぐるしく天気を変え、そのたびに雨宿りや合羽に着替えさせられる羽目になりました。 

大観峰に到着しました。真ん中のちっこいカブが僕のです。

ツーリングの聖地だけあって大型バイクが駐輪場に所狭しと駐輪されていました。というかこの時は原付が自分しかいなかった記憶があります。

ちょっと正直優越感というかある種のやってやったぜ的な感じはありましたね。他のライダーが僕の原付に近づいてきた際、ナンバーの高知市という文字を見てコイツまじかよ見たいな顔をしていくのが面白かったです。

これが大観峰です。阿蘇を取り囲む広大な外輪山とその中央にそびえ立つ阿蘇山を一度に見渡せることからその名が付いた大観峰ですが、この時は見る影もありませんでした。よっぽどがっかりしたんでしょうね、写真もこの一枚しか残っていません。

 

阿蘇に来たときは、真っ先に晴れた空の下で大観峰に来てやると固く誓ったのを覚えています。ちょっとだけ後悔を残したまま今度こそ阿蘇とのお別れです。

ちなみに晴れたときはこんな感じで 自然の圧倒的な光景にただただ心を奪われました。

帰り道も牧場のど真ん中を突っ切って帰ります。

よく観光名所とかで写真では一面の大草原に見えても、実際行ってみたら景色がいいのはそのアングルだけで後は普通の田舎の山しかない、みたいなことあるじゃないですか。ところが阿蘇ではそんな甘っちょろいもんじゃないです。文字通り365度すべて草原に囲まれています。どこまで走っても一面の緑と青い空が続いています。

阿蘇を抜ける段階になってやっと霧が晴れてきました。まあ雨が降るよりはマシなんですが、いまさら晴れても帰り道クソ熱いだけなんで正直そんなにうれしくはなかったです。

国道57号線を通ってフェリー乗り場の大分まで突っ走ります。この頃になるともう普通に天気が良くて青空も見えているのですが、まあこれでもかというくらいクソ暑かったです。何回か熱中症で意識飛びました。

この3日間阿蘇やら高千穂やら標高の高い場所で過ごしていたので、その気温に体が慣れ切っていたのでしょう。

バイクに乗ったことがない人からたまに「夏場晴れた日にバイク乗ると風が吹き抜けていって気持ちいいんだろうねー」なんて言われたりすることもありますが、全然そんなことありません。

考えてみてください。夏場のクソ熱い時にウチワで顔を扇いだところで、ジメっとしたそよ風がそっと熱を運んでくるだけですよね?それと一緒で熱い空気の中どれだけかっ飛ばそうが、裸の大将ばりにきわどいタンクトップを着て肌を露出させようが、ただひたすら熱風が吹き付けてくるだけです。

もっと分かり易く言えば夏場にエアコンの室外機の前でずーっと生暖かい風を浴び続けることを想像してみてください。それです。夏場にバイクに乗ることはエアコンの室外機の前で熱風を浴び続けることと一緒なんです。

 

 

流石に暑すぎるので休憩がてら国道を外れて道の駅に立ち寄ってみることに。

 

 

やっぱり川沿いはひんやりと涼しくていいですね。オーバーヒート寸前だった相棒と僕の脳みそが一気にクールダウンしてだいぶ景色に思いを巡らせる余裕ができました。

 

 

最初なんで国道沿いに道の駅がないんだろうと思っていましたが、どうもここの道の駅は観光地に併設しているようで、その名も原尻の滝というぱっと見ナイアガラの滝に見えなくもない滝が施設のすぐ隣にありました。

あいにく雨が少なかったのもあり、あまり水量は多いとは言えませんでしたが、思わぬ収穫ということもありなかなか楽しめました。旅なんて案外事前の下調べしなくとも楽しめるもんですね。

 

 

火照った体を冷ました後はフェリーに向けて一路東へ突き進みます。

この日の夕方のフェリーに乗ればギリギリ高知まで帰れる計算だったので割と急いでいました。

所持金も底をつきかけていたので、これ以上の滞在は割と草食っていくレベルで過酷になってしまうのでその前に高知に帰りたかったのです。

 

 

 

 

 

 

 

その割にこういう変な所で写真は撮っているんですね。

この日は定休日だったので中には入ってません。本当です。

それにしても大人のお土産とはなかなか心を惹かれるワードですね、いったいどんなお土産だというのでしょう。

 

 

この国道57号線はまあ警察が多かった記憶があります。一台原付が捕まっている横を30kmでおそるおそる通り抜けていったのを覚えています。

 

 

やっと市街地まで到着しました。飲食チェーン店の看板が増えてくると途端に空腹感に襲われたので九州最後の晩餐としゃれこんできました。

 

ご飯お替りし放題でこの量はなかなかありがたかったです。

調子に乗ってご飯を4合(炊飯器二台分)食べたら流石にお腹いっぱいになったので店を出ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果吐きました。

あんまりこの時の描写を事細かく記しても、あまり読んでいて気分のいい物ではないと思うのでまあかいつまんで説明しますが。

この三日間ロクにご飯を食べられなかった19歳の青年が山盛りの肉に望めば望むだけ出てくる白米のコンボを前に自制心を抑えられるわけもなく、欲望のままただひたすらに食べ続けた結果、わりと身動きもできない状態になったんですね。でもフェリーの出航時間は刻一刻と迫っています。いつまでもこの店でまごつくわけにはいきません。

なるべく胃に衝撃を与えない姿勢を保ちながら目線は水平に駐輪場へ向かいバイクへ乗るところまでは順調だったんです。

 問題はバイクに乗ってからなんですね。バイクってあれ結構振動するんですよ。エンジン自体の振動もありますが、路肩を走るもんだから路面の凸凹もダイレクトに拾ってしまうのです。その結果時速30kmで吐いちゃいました。テヘ

いや結構頑張ったんですよ、二回目までは何とか飲み込めたんです。でも三回目の波で口押さえたらなんか鼻から出てきちゃって、あっそっちからきたかァと思う間もなく大分県道685号線のパチンコ屋150m手前で時速30kmでアスファルト目指して駆け抜けるゲロを吐いちゃいました。テヘ

 そうですね、ちょうどこの電柱から数えて右の二本目の植木辺りにやらかしました。

せめて文章だけでもかっこよく書いてみようとしましたが所詮ゲロはゲロです。汚い。

よごれっちまった悲しみと左手を清めるために人生で初めてパチンコ屋に入ってトイレで手を洗ったのも今ではいい思い出です。

 

 

 

で、その結果フェリーを乗り過ごすというね。

係りの人に「あと五分早かったらねー」なんて言われても何の気休めにもなりません。今日も野宿確定です。

 

いっつもそうなんです。いいところで引いとけばいいのにあれも欲しいこれも欲しいと欲を出してその結果全部裏目に出てしまうんです。昔っからそういう所不器用なんですね。

 

フェリー乗り場でこれから出航する人たちを見送ってちょうどいい感じに惨めな気分になったので海を見に行くことにしました。海に沈む夕日を見てたそがれたかったんです。

 

 

 

 

後で知ったんですが、ここは結構有名な夕陽の名所らしく、それはそれは美しい夕陽を見ることができました。

 

オレンジから赤に移りゆく太陽の光、それを受けてキラキラと眩しく揺蕩う海は僕の心の奥深くまで沁みわたっていきました。

いっつもそうなんですね。やる事なす事すべてが裏目に出た結果、ボロッボロに打ちひしがれて今にも自分自身の存在がかき消えてしまいそうな時には、決まって旅先で出会う景色が不器用な僕を慰めてくれました。

 

そのたびに僕は比喩表現でもなんでもなく本当の意味での生きる力をもらえる気がします。悲しいことや、つらいことはあったけどそれでもその出来事があったから今僕はこの景色を目に焼き付けることができているんだ。そう思えるようになってからは、悲しみやそれに伴う痛みを乗り越えることから逃げることなく、旅を通して向き合うことで自分なりの答えを見つけ出せるようになりました。

 

嬉しいことや楽しいことはもちろん人生において重要です。でもそれと同じくらい悲しいことや辛いことにもちゃんと意味があるということに気づくまで、僕は19年かかりました。

大学に入ってバイクで一人旅をしていなければ僕は相も変わらず嫌なことから目を背け続けていたことでしょう。何の成長もなくただただ現実逃避ばかりの毎日を過ごしていたことでしょう。

でもそれって生きてる意味ないですよね。嬉しいことや楽しいことだけでなく、悲しいことや腹立つこともあるのが人生です。どうせ生きていれば喜怒哀楽の感情から逃れることは不可能なんです。

だったら楽な逃げ道を探して辛いことを記憶から消し去るより、怒りや悲しみの感情と向き合って自分なりの答えを見つけて人生をより豊かにした方が絶対楽しいじゃないですか。

 

 

長々と長尺を垂れましたが、とどのつまり何が言いたいかというと

ゲロ吐いたけど綺麗な景色見れたから結果オーライだよねってことです。

人生捨てたもんじゃないですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

一時間あまりたそがれているとようやく次の便が到着しました。

今度こそ本当に九州とお別れです。

 

生まれて初めて訪れた九州は自分が初めて見るものばかりで、それこそ自分の今まで生きてきた世界がどれだけ小さなものだったかを思い知らされました。

目を奪われるほど魅力的な絶景も、未だ癒えない深く残された震災の爪痕も、旅先で出会っただけの僕にやさしくしてくれた人達も、この旅を通して見てきた何もかもを僕ははっきりと覚えています。

 

旅先で見た景色はいずれ季節が移り変わって全く別のものになるでしょう。

震災の爪痕もいつしか復興を遂げて人々の思い出となっていくはずです。

偶然出会っただけの名前も知らない人たちともう一度巡り合うにはこの世界は広すぎます。

 

全てはあの日、あの夏に僕が阿蘇にいたから出会えたもので、もし同じ日同じ場所に5年後、10年後の僕が行ったとしてもその時の僕はこの旅と全く違う出会いをするはずです。

運命なんてチャチな言葉はあまり好きではないのですが、まあこの旅をふりかえってみればこの言葉が当てはまるような気がします。

もし僕がこの旅に行っていなかったら、そう考えたら果たして今の自分は在り得なかったと思います。この旅があったからこそ、自分が変わるきっかけになったと僕は少なからず考えています。

そう考えると旅先で出会ってきた景色も、人々も、出会いには全て、何の例外もなく僕にとっては意味があるものです。だからこれまでも、これからも僕はこの旅を忘れることはありません。

 

 

船旅を終えた後はとりあえず野宿できそうなところまで走ります。

夜の佐多岬は月が綺麗でなんだか四国に帰ってきたのを出迎えてもらっている気分でした。

 

 

野宿場所の八幡浜の道の駅です。海沿いで程よく涼しく、景色も悪くなかったのでこの港で一泊した後、次の日の昼すぎくらいに高知に到着しました。

 

おしまい。

 

 

 

 

 

 

 

一連の記事を書いて改めてこの旅を振り返ってみましたが、もし今一万円だけ渡されてこの時と同じように阿蘇までカブで行けと言われても自分はそこまで行ける自信がありません。冷静に考えてなぜこれほどまでに無謀な旅をしたのか、今思い返してもまあよく生きて帰れたなあと思います。

 

友達がよく言っている言葉を借りて言えば自分が見たことのない物を見てみたいというその好奇心があったからこそこんな無茶苦茶な旅ができたのでしょう。

 

実際それだけのためにわざわざしんどい思いをして旅をする事はまあ自分でも馬鹿馬鹿しいと思う事もありますが、それでも僕はバイクに跨って自分の知らなかった世界を見つけ出す旅が楽しくて面白くてしょうがないんです。

 

 

 

 

普段の日常生活で生きててよかったなあなんて思う事はそうある物ではありません。なんてことない平和な日々を幸福だと思える殊勝な人ならいざ知らず、僕の様な好奇心が服を着て歩いているような人間はわざわざ自分から過酷な道に足を踏み入れてその身を危険にさらしてでも、好奇心を満たしてやらないと心が死んでしまうんです。

 

 

 

 

目的もなくただ飯を食って呼吸をして寝るだけの心が死んだ毎日なんてものは、僕にとって瞳孔が開いて脈が停止した生物学上の死と何ら変わりないんです。

心を生かすために命を懸けて旅をするのは矛盾しているように思えますがそれもしょうがないんです。今の自分にとって唯一生きる理由と言い切れるのが旅なんですから。

 

まあ人から見れば変わっているかもしれませんね。でも僕は旅という生きる上での目標が見つかってようやく自分自身の人生を歩み始められたと思っています。何で生きてるの?って聞かれて自分がいまここに生きている理由を僕は胸を張って言い切ることができます。

僕は自分の知らない世界を知りたいんだ、そのために旅をし続ける、それが自分の生きる理由なんだと。

 

 

そう思えるようになったきっかけは紛れもなくこの旅でした。