梅雨明けツーリングin奥四万十&四国カルスト 2016/07/04~5

高知では7月に入ると大体梅雨が終わりを迎えます。

 

じめじめとした梅雨でカビる寸前だった心も一気に晴れ晴れとしたものになり、太平洋の青い海風が雨降り続きの天気を吹き飛ばす頃になると、高知の夏がいよいよ始まります。

そんな梅雨明けを祝うかのように高知市の商店街では7月の毎週土曜日に土曜夜市なるものが開かれます。

 

高知市の商店街は基本的にいつもにぎわっているのですが、この時はもう毎週お祭り状態と言っていいほど数多くの屋台が軒を連ね、大勢の人がその一軒一軒に行列を作ります。

 

 

そんな高知の熱気に見事ほだされた僕は、かねてから行ってみたかった四国カルストに行ってみることにしました。

この時はたしか月曜の授業を全部自主休講して旅立った記憶があります。

 

学校をサボってツーリングに行くときの背徳感はなかなか病みつきになる快感がありますね。

 

真面目に授業を受ける級友たちを尻目に僕は一足早い夏を探しに四万十の清流をたどって四国カルストへと旅立ちました。

 

 

最初に立ち寄った「道の駅かわうその里すさき」では絶滅したとされているニホンカワウソをモチーフにしたゆるキャラのしんじょう君が大量発生していました。

 

 

先日のゆるキャラグランプリで見事一位を獲得したしんじょうくんの今後の活躍から目が離せませんね。

 

まあ僕はくまモン一筋なもんで、それ以外のゆるキャラは眼中にないんですが。

 

絶滅危惧種に別れを告げてバイクは国道56号線を西にひた走ります。

 

 

須崎市からはやや本格的な峠道が始まります。焼坂峠という峠を越えると山間部の入り江で栄えている中土佐町は久礼の港町が見えてきます。

船着き場に所狭しと並べられている漁船は潮風とともに港町の空気を色濃く伝えてくれます。

 

高知県中西部を代表する漁港があるここ中土佐町では古くから漁師町としてにぎわってきました。その代表的な例として久礼の大正市場があります。

 

この魚市場の大きな特徴として挙げられるのが、他の魚市場と違い水揚げの時間が昼頃、12時前後という事です。

 

普通イメージされる魚市場は朝日が昇り始めるころが、水揚げされた魚が競りに出され、最も賑わいを見せる時間帯だと思います。

しかしここ久礼では水揚げが昼の12時前後とかなり遅く、市場に並ぶ魚も昼過ぎが最も新鮮な状態で売られています。

 

日本全国数ある漁港の中でも、市場のとれたて新鮮な魚をお昼時に堪能できるのも日本全国数ある漁港の中で久礼漁港くらいのものでしょう。他にあるかもしれませんが行った事ないので知りません

 

ここでお昼を食べて、四国カルストへの英気を養おうと思いいざ市場へ。

入口に堂々とカツオの看板が掲げられているあたりはさすが高知県らしいですね。

 

平日ということもあり、すんなりと市場の中にある食堂の席に座ることができました。

これも自主休講の数あるメリットの一つですね

 

さて、メニューを開いてみると市場というだけあり、様々な種類の魚が並んでいましたが、やっぱり高知県と言えばカツオです。一通り品目を眺め終わった後に店員さんにこの市場のイチオシであろうカツオの丼を注文すると、2~3分ほどで出てきました。

 

 

びっくりしました。ガーネットの様な深く芯まで沈み込むような紅色、しかし水揚げされたばかりのその身は真珠の様な瑞々しい光沢を放っていました。

ありきたりな表現でしかこの美しさを表現できない自分の語彙にもどかしさを感じますが、まさに宝石箱と言っても差し支えないほどでした。

 

大学で高知に来る前、僕が香川県に住んでいた頃食べていたカツオというものは、スーパーの半額シールが貼られた、まるで萎れきったバラの花弁の様に、血合いが赤黒く変色している砂漠のような乾ききった切り身を薬味とポン酢にドブ付けして傷んだ風味をごまかして何とか食べていたものでした。

 

そんな僕のカツオに対するイメージを根底からぶっ潰してくれたのがこのカツオ丼でした。

 

分厚い切り身を口に入れ、歯に当てるとほのかに感じる、だけど確かな弾力を噛みしめると太平洋の荒れ狂う黒潮を悠々と泳ぎ、その身に蓄えた力が今、僕の血となり、肉となっていく実感がふつふつと湧き上がってきました。

 

あっという間に完食した僕は、器が空になってもあまりのおいしさにしばし余韻に浸ってしまいました。

 

 僕はどちらかと言えば、いやかなり食に無頓着で、この久礼も本当は友達になんかいい飯屋ない?と聞いて教えてもらった場所でした。いままで食事なんて腹が膨れればそれでいいと思っていましたが、食事をする時間そのものが幸福と思えたのはとてもいい、貴重な経験でした。

                          女たらしプレイボーイ

                              ↓

改めてこの場を借りて素晴らしいひと時を僕に教えてくれた親友のT君に深く感謝の意を伝えさせていただきます。

 

太平洋の恵みを心行くまで味わい、英気を養った後はまたツーリング再開です。

 小さな住人の遅めの昼食を尻目にいざ峠越えです。

 

 国道56号線の難所の一つとして知られるここ、七子峠はふもとの久礼から一気に標高300mを駆け上る険しい峠道で、徒歩や自転車で巡礼するお遍路さんたちにとってはかなりの強敵ともいえる場所です。現在は写真奥に見える無料高速道路の開通により、高知市内から四万十町四万十市へのアクセスはかなりよくなりました。しかし、残念ながら僕の相棒は50cc、もちろん自動車専用道路は走ることができないため、小さいピストンに鞭打ってえっちらおっちら峠を越えていきます。

 

七子峠を越えると雲が晴れ、夏らしい青空が顔を出してきました。

 

やっぱり天気は晴れている時の方が気分がいいですね。

吹き抜ける風も心地よく太陽の熱を冷ましてくれます。

 

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窪川の道の駅で人工甘味料と着色料をほてった体に流し込み、クールダウンした後は進路を内陸へ、四万十川沿いを走ります。

 

四万十川のイメージと言えば大体こんな感じで雄大な河川になみなみと水を湛えているイメージが思い浮かぶ事でしょう。

 

ですが、それは下流域の部分だけで、窪川あたりの中流域ではそこまで川幅は広くなく、河原も岩がごつごつしています。しかし水質は下流域に比べると格段に透明度が高く、まさに字のごとく清流と言える川でした。

 

 

蛇行する川に沿った程よいワインディングを味わいながら内陸部を進んでいくと、国道から逸れた分岐道が出てきます、道を折れて一路山道を進んでいくと開けた場所に変わった建物が見えてきました。

 

知っている人は知っている日本を代表するフィギュアメーカー、海洋堂のフィギュアが展示されているミュージアム海洋堂ホビー館です。

入り口では早速等身大の世紀末救世主が出迎えてくれました。

連載開始時の年齢が18歳でちょうど同い年ということもあり、奇妙なシンパシーを感じつつ中に入ると

どこかで見たことのあるキャラクターたちが勢ぞろいしてました。

廃校になった学校の体育館を使用しているホビー館は広々としたスペースを活かしたダイナミックな展示方法で見ていて飽きることなく楽しむことができました。

 

ホビー館を後にしてまた四万十川まで戻ってきたら、引き続き川沿いを下っていきます。

 

 

 しばらく走るとまた道の駅が見えてきたので休憩がてら立ち寄ると

半額セールでした。

普段は買い食いをしないお上品な僕もこれにはつい財布のひもが緩んでしまいました。

ほどよく溶けかかったソフトクリームに舌鼓をうっていると、駐車場に一台のオフロードバイクが、訊けば東京から一週間ほど四国ツーリングに来たそうで、自分のおすすめの場所なんかを紹介していると、なんとソフトクリームをおごってくれました!

まさかおかわりできるとは思ってもみなかったのでとてもうれしかったのを覚えています。しばし談笑しながらソフトクリームを食べ終えると、互いの幸運と旅の無事を願ってまたそれぞれの道を走り始めます。

 

東京から来たセロー乗りのおじさん、本当にありがとうございました

 

四万十川を下っていくとまた分かれ道です。海、川を楽しんだあとはいよいよ山です。

カルストに向けて一部のマニアに有名な国道439号線を北に、梼原町めざしてひた走ります。

ところがこの道がまあ国道とは思えないほどの道で、原付でも対向車との離合が困難な道幅で走ってて非常に疲れました。

写真の様な集落を通っている場所はまだマシで、森の中へ入ると、苔でできたセンターライン(踏むと滑る)や落石などでいわゆる酷道らしさが満載でした。

 

それでも景色はなかなか見ごたえのあるものがありました。

 

通称”眼鏡橋”と呼ばれているこの橋は、古くはこの地にまだ林業が栄えていたころの名残で、伐採した木材を運搬するための鉄道が引かれていた頃の遺構らしいです。

今では鉄道も廃線になってしまい、当時の路線も撤去されて大半が消滅してしまいましたが、こうやって当時の面影が自然と一体になっていまだに残り続けているのはなんだか感慨深いものがあります。

 

遠い昔、この地が人々の活気にあふれていた時代を証明する唯一の忘れ形見。

そう遠くない将来、高知県のみならず日本各地でこういった遺構はどんどん増えてゆく事でしょう。

もしここのようにどこかの村で人々がいなくなって、そこに文明の営みが途絶えてしまったとして、当時の繁栄や栄華を知れる、感じ取れるものが残っているのといないのとでは、大きな違いがあるのだろうと思いました。

何事も完全に人々に忘れ去られてしまえば、それは本当にこの世から跡形もなく消え去ってしまうという事にほかなりません。それでもほんの些細なものでも、はるか昔に人々が存在していたことを示すものが残っていれば、そうやって誰かの心に残ってさえいれば、何となく救われるというか、そんな気がするのです。

 

だって誰の記憶からも忘れ去られて消えてなくなるなんて一番寂しいじゃないですか。

せめて誰かの記憶の片隅でいいから残っていれば、ふとした拍子に思い出してくれれば、それだけでも何か意味はあるんじゃないかなあと考えたり。

 

そんな感傷的な気分に浸りながらのどかな農村地帯を走り抜けると、ようやく雲の上の町、四国カルストを背に抱く梼原町に到着です。

 

だいぶゆっくりしてしまったのでもう日が西に傾き始めています。

標高1000mのカルストに上る道はどれも険しく、それこそ日が沈んでしまってから上るのはかなり危険です。ペースを上げ気味で、相棒を唸らせつつ、山道を駆け上りました。

 

 四国カルストについたのはもうすっかり日も沈みかけた黄昏時、それでも初めて訪れたカルストはとても雄大で、ただただ自然の生み出した迫力に圧倒されてしまいました。

昼時に間に合うことはかないませんでしたが、それでも充分すぎるほど素晴らしい景色を見せてくれました。

これがこの先幾度となく訪れては数々の表情を見せてくれる四国カルストとの最初の出会いでした。

 

地平線のかなた、四国山地の山々に沈んでいった夕陽を見送った後は、疲れた体を休ませる仮宿作りです。四国カルストの頂上にはキャンプ場があり、一晩200円という破格の値段で利用することができます。

僕が行ったときは、もうすでに管理棟が閉まっていたので翌朝管理棟が空いた時に事後手続きを取らせてもらい、その時に200円を支払いましたが、時間に余裕のある人は早めに行って手続きを済ませたほうが色々スムーズに進むのでお勧めです。

念のために言っておきますが、この200円はキャンプ場の維持費のみならず、カルストの自然保護の費用として使われているもので、お金を払わず無賃でキャンプ場を使用するような不届き者にはキャンプ場どころかカルストに足を踏み入れる資格さえありません。この素晴らしく限りある資源を永く後世に残していくためにくれぐれもごみを捨てたり、荒らしたりすることがないように自分も気を付けていきたいと思いました。

 

テントを立て、軽い夕食を済ませると、もう一組のキャンプ客がいたので話してみると、まあめちゃくちゃに面白い人たちで、もうずーっと腹を抱えて笑いっぱなしでした。

岡山から車に乗って男二人でカルストに星を見に来たそうで、バーベキューにも混ぜてくれて、とても暖かいひと時を過ごすことができました。

寝袋の弟さんと、スノーボーダーさん、おかげさまで楽しい夜を過ごせました。本当にありがとうございます。

 

さて、上の写真を見ても分かるかもしれませんがこの時は少し、いやかなーり曇っていました。というか雲の中にいました。もうとにかく霧がすごすぎて5m先が見えないくらいで、キャンパー二人組と「これは星は無理かもしれんねー」なんて話をしていました。

どれくらい霧がすごかったかと言うと、ブロッケン現象という気象現象がありまして、太陽などの強い光源に照らされた影が、雲や霧の水蒸気に映し出され、大きな影ができるというやつです。ワンピースという漫画の有名なシーンでもありましたが、これは上空にいる人々の影が、遠く下の海上に発生した霧に映り込んでいるシーンで、作中内でも、巨人伝説として物語の根幹にかかわっています。

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 と、まあそんなブロッケン現象

 

 

 

 いとも簡単に再現できる程度には濃い霧だったわけです。

 

 

 

ところがどっこい、山の天気と女心と言われるように、山の天気は気分屋のおてんば女子大生のごとくころころ変わりゆくものです。

 

 

 

稜線を吹き抜ける南風が雲を吹き流して、気が付くと霧は晴れ、ふと空を見上げると…

 

 

思わず三人とも息を呑みました。

比喩などではなく文字通り、満天の星空が頭上に広がっていました。

夜空を駆け抜ける天の川、それを挟んで煌々と輝く彦星と織姫、広大な宇宙で光を放つ無数の星々の輝きが三人の瞳を照らしました。

夢のようなひと時とはまさにこのことをいうのでしょう。

 

夜が更けるまで、三人でたき火を囲みながら、心行くまで宇宙の煌めきを瞳に焼き付けました。

 

 大自然プラネタリウムを思う存分堪能した僕は長旅の疲れもありテントで寝袋にくるまるとあっという間に眠りに落ちてしまいました。

 

次に目を覚ました時はまだ日も出ていない早朝で、もぞもぞとテントから這い出ると、朝露であたり一面しっとりと、うっすら霞がかっていました。

しかし、そこから徐々に気温が上がるにつれ、霞が晴れて、次第に視界が開けてきました。

 

 

 

 

地平線の遥か彼方まで無限に続く雲の海、文字通りの雲海が広がっていました。

 

朝の澄み切った山の空気は深呼吸一回で、寝ぼけ気味の僕の意識を一気に覚醒させました。テントの中に寝袋やリュックを置き去りにして、カメラだけ首にかけて身一つで相棒に跨って走り出すと、朝日に照らされた光の道が大空へ向かって伸びていました。

 

 

標高1000m、眼下に広がるのは果て無く広がる雲の海、僕はまるで大空を羽ばたく鳥になった気分でバイクを駆って空の道を走り抜けていました。

 

 

 

 

 

視界を遮るものはなにも無く、ただどこまでも広がる大空がとても心地よくて、開放感で心がいっぱいに埋め尽くされたのをよく覚えています。

 

 

大空を吹き抜ける風を体いっぱいで受け止めて回る風車の羽、朝露を光らせ瑞々しくそよ風に揺蕩う草原、朝日を背に受けて飛び立つ鳥たち、そのどれもが自分と重なって見えて、本当に自分が大自然の一部になった、大自然に溶け込んだ気がしました。

 

人間普通に生きてて心の底から感動する事ってそうそうないと思うんですよ。

でも僕の場合旅に出るとだいたい感動するんですよね。景色がきれいすぎて。

今思い返せばこの旅を経て、より一層バイクで遠出することが増えた気がします。

 

 

最初から最後まで僕の心を満たしてくれたカルストと愉快な二人組に別れを告げ、帰路へ着きました。

 

その日は午後から実習で昼までに大学に戻らなければいけなかったので、帰りは結構なスピードで飛ばして、写真を撮る暇も無かったのですが、とにかく幸せな、満ち足りた気分で大学へ向かっていた記憶があります。

 

 まあ旅の疲れでその日の実習は爆睡してしまったのはお約束ですね

 

今振り返ってみるといささかせわしない旅だったなあと思いました。

ほとんど突発的にカルストへ行くことを決めたのでルートや行き先も適当にその都度現地で決めるような感じでした。めんどくさい教授の授業を休む口実という意味合いも多少ありました

 

それでも振り返れば夏の幕開けにふさわしい景色がたくさん見れて、行っててよかったと思える、楽しい旅でした。

 

まあ実際この一か月後にこのカルストが比べ物にならないくらいの無茶な旅をする羽目になるんですがそれはまたいずれかの機会に書くことにします。

 

まあそんな感じで大学一年の初夏はこうして終わりをつげ、暑く、熱く、狂騒的なまでにアツい夏の始まりを迎えることになりました。

 

 

コース

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